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吉岡家
2006年08月29日

昨晩、久保田より久保田を知るアニキ、吉岡さんが自宅でオレの為に送別会を開いてくれました。吉岡夫妻には、この間子供が生まれたので三人の家庭です。文平ちゃん(新田義貞が戦死した足羽郡出身)が地元の酒を持ってきてくれたので、呑んでしまいました。夫妻は、ドイツに旅立つオレの為に、手巻き寿司を用意してくれました。しばらくこの味もおあずけとなるんで、よく噛み締めていただきました。

思えば、吉岡さんには、学生時代から世話になりっぱなしで、吉岡さんが助手をやっていた研究室には、どっかからもらった酒が沢山あったので、蜜に群がる虫のように3日にいっぺん程の割合で通っていました。飲み過ぎて、色々な迷惑をかけてしまいましたが、許してもらっています。奥さんになったマサヨは、二人がまだつきあい始める前、なんかの飲み会のとき、泥酔しているオレに、吉岡さんとつきあう事について相談してきました。オレは酔っぱらっているので「つきあえ、つきあえ」と言った気がします。オレは愛のキューピットです。時が経つのは早いもので、もう子供が生まれてしまいました。ゆうご(漢字はわかりません)クンという名の男の子で、名前の由来は聞いていませんが、無くなってしまいましたが、沢山の民族がチトーのもとに一つにまとまっていた幻の国、ユーゴスラビアから取ったものだと、オレは勝手に思っています。渋い名前です。

吉岡さんは、5、6年前に韓国でオレと一緒に「世界男根彫刻大会」に参加しました。その時に起こった出来事を漫画化して、自身のhpで発表予定です。下書きを少し見せてもらいましたが、笑えますよ。実は、吉岡さんが優勝しました。オレは三位。日本人はダンコン彫刻においてさえ、成績優秀です。漫画、期待しといた方がいいですよ。

のこりあと今日も入れて4日しかない。しびれるなぁ    写真なくてすみません

博多・筑豊3
2006年08月25日

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炭坑周辺には、強制連行されてきた朝鮮人と、中国人の慰霊碑がありました。いきなり、家族から引き離され、まったく知らない土地に連れてこられた上に、過酷な労働を強いられ、さぞ無念だったと思います。オレは、韓国のとあるシンポジウムに行った時、80位のおじいさんが流暢な日本語を喋っていたのを見て、日韓併合の過去をリアルに感じた事がありますが、韓国、中国を植民地化しなければ、欧米列強に対抗できなかったにせよ、彼らにとっては悲劇だった事は間違いありません。

田川に住んでる友人Kに、かつて、北朝鮮が攻めてきたらどうするかと、聞いた事がありました。Kは、「裏山に逃げるバイ」と非国民のような事を言っていましたが、こういった歴史を経ている場所に生まれ育った人間ならではの、意見なのかなと思えました。

炭坑周辺を散策していると、街宣車を物置にしているツワモノを発見し、写真を撮ってしまいました。慰霊碑をお参りしている時も、昼間から暴走族がブンブンと走り回っていたし、ここはいったい?と思う事が多かったです。ソトヤは、普通だと言っていた。防空壕を飲み屋にしているところを見学した後、バスに乗る為に、町中へ出たが、商店街の店は、半分くらいが閉まっていて、寂れていた。これからこの街はどうなるのだろう、機会があればまた来るつもりだ。

博多・筑豊2
2006年08月21日

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田川では、石炭のみでなく、コンクリートの原料となる石灰岩の採掘もされている。こちらは、今でも続いているようだ。昔は銅も採れたらしく、奈良の大仏の銅も、ここのものが使われたらしい。

写真の山は香春岳といって、手前から一の岳、二の岳、三の岳というらしいが、見ての通り、一の岳は石灰岩採掘の為にガッツリ削り取られている。異様な風景。この山を生まれた時から見ている人たちは、どう思っているんだろう。ソトヤ君(香春町在住)どうですか?下の写真が、大正時代に撮られた元の形の立派な一の岳。現在のは、やはり異様な光景です。一の岳は登山禁止らしい。博物館の中で見つけた話では、香春岳には戦国時代には、城があったらしいです。今となっては、想像するのも空しい気がしますけど。

上の写真の、香春岳の左下に見える三つの小さい山(見えにくいですが)は、あの有名な「ボタ山」。今は、木か草かわかりませんが、覆われているようです。青春の門では、主人公が登ったりしてた。オレが、この写真を撮影しているところも、元ボタ山らしいのですが、今は平らにして工場誘致などしている場所です。でも、ぜんぜん来る企業がなくて、地元民が夜中にカーセックスをしたり、営業の人が昼寝をする場所となっています。オレは、記念にボタさん(ボタは、石炭と一緒に出てくる、いらない部分)を一個持ち帰り、我が家の便所に飾っている、世界の名石コレクションに加わってもらう事にしました。

田川の人口は5万人くらいだが、最盛期は10万人程住んでいたらしい。ソトヤの話では、炭住(タンジュウ)という長屋が昔はいっぱいあったようだ。つわものどもが夢の後っていうけど、もうそれ通り越してる光景だな、これは。                                    

熊へ、赤池行けなくてごめんな                    つづく

博多・筑豊
2006年08月20日

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ここ何日か、妻の実家のある博多を訪れていた。毎晩、すっかり御馳走になり、酒もお父さんと飲みまくりました。一日目は、地鶏専門店に連れて行ってもらった。ここでは、なんと地鶏の刺身オンパレードを経験。すなぎも(すなずり)、はつ、ささみ、そして驚いたのは、とさか だ。とさか の刺身は、歯ごたえのある、オレの好きな食感であるが、味はまろやかだった。カメラを持っていかなかったのを悔やんだ。全て、新鮮だからなせる技だ。芋焼酎飲みまくり。

二日目は、家でお母さんの手料理(うまい)。酒は、オレが以前お父さんに送ったアイリッシュウイスキー16年もの。黒ビールで割る、アイリッシュスタイルも試してみた。最高だ。ボトルを一本開けた。

三日目は、海の幸を堪能。伊勢エビ、カワハギ、カサゴなど玄界灘の幸をいただきながら、焼酎を飲む。家への帰りに、豚骨ラーメンを食べる。屋台風におでんも置いていて、旨かった。腹が破裂するところでした。正に、この三日間は痛風一直線Nights!こんなに幸せでいいんですか?お父さん、お母さんありがとうございました。真面目に、博多に住んでみたいと思えた。

昼間は、台風が時速6キロで停滞し、外に出られなかったのだが、唯一、我が親友ソトヤが、筑豊は田川に住んでいるので、訪問してみた。日本の富国強兵政策を支えた、炭坑の街だ。この絵は、元炭坑夫の画家 山本作兵衛の炭坑記録画だ。このような、いかつい炭坑夫たちが、褌一丁で石炭を掘り出していたのだ。田川市石炭・歴史博物館にて                             

青春の門の話は本当だった             つづく

諏訪大社2
2006年08月14日

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もう2年以上前になりますが、御柱祭りに参加しました。そのときは、パリに行く一週間前で忙しかったけど、次の祭りは6年後になってしまうので、無理矢理参加させてもらいました。季節は、春先なのでかなり寒く、おまけに雨ばかり降っていました。重さ10トン以上ある御柱(ただの丸太ではなく、これは神です)を人力で、山から諏訪大社まで引っ張っていきます。1000人以上で引っ張りますが、あまりの重量に全く動きません。だから、木遣りを合図に一斉に引っ張るというのを、何回も繰り返して進んでいきます。木遣りっていうのは、なかなかすごい力をもっていまして、へたくそな木遣りだと御柱が動きませんが、声量があってコブシの聞いてる人の木遣りだと、すごく進むものです。神社までの距離は20キロ程あり、途中に坂や、狭い道、田んぼ、川などあって、そこを神である10トンの丸太を引っ張っていくのは、命がけの作業です。本当に怖いです。

写真は、川越しの光景。雪が降っていて寒かったです。オレは、もう地元民ではないのですが、地元出身ということで、元綱(御柱の先で、綱を操る人たち)に加えてもらいました。とりあえず川に飛び込み、綱につかまりましたが、雨で増水していて川の流れが急なので必死でした。流されて、諏訪湖で遺体となって見つかった氏子が過去にはいたらしいので、まじでびびっていた。後ろを見ると、高さ10メートル位の土手から、御柱がドップ〜ンと、川の中に落っこちてきたので(10トンだよ)恐ろしくなり、思い切り泳いだ。その光景は忘れる事ができません。水が冷たくて息ができなかった。向こう岸手前で、溺れる〜助けてと思い、足を着いてみた地点は、思い切り浅くなっていて、30センチくらいの深さだったので、かなり恥ずかしかった。土手から見ていた人に、笑われてしまいました。

オレなんかより、ずっと危険なポジションに位置する人は、いっぱいいて、彼らは命を掛けている。別に、目立つ事が目的ではなく、純粋な信仰心と、誇りを持ってやっている。だから、はじめから終わりまで、この祭りの全てを取り仕切ってる人たちの話は、本当に重みがあり、尊敬する。だけど、飲み会になるとメチャメチャやるらしい。祭りも野蛮ですが、彼ら自身も相当野蛮人です。今度は、4年後だけど行きたい人、一緒に行こうぜ。

諏訪大社
2006年08月13日

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ドイツ行きの前に、墓参りの為に故郷の諏訪に帰っていました。親不孝者のオレの顔など、見たくもないだろうが、一年間会えないし、家族にも会った。最近、両親もやっと、芸術家という人種について、その存在を認め始めた?ような気がしないでもない。わけのわからない事ばかりしているのに、パリやベルリンへ勉強に行っているのは、未だに不思議なようだが。何年か前、オレの「ぬかずく男根」という作品が、地元の新聞に紹介された時は、激怒していた。ごめんね、普通に生きられなくて。

夜、兄貴夫妻の家に行き、地元の酒を飲みながら、いろんな話をした。兄貴は、大工で、御柱祭(諏訪で6年に一度やる祭り)に出ていて、かなり気合いが入っている。そのうち、この日記で御柱祭りについて書こうと思っている。消防団の話とか、諏訪大社の歴史、御射山神戸(オレの地元)の歴史などの話を、酒のつまみに盛り上がりました。歴史好きな兄弟です。こんなふうに、仲良く飲めるのは、実は奇跡、昔は喧嘩の日々だったので。

諏訪大社で売ってる、良い御守りがあると言うので、翌日お参りに行ってみた。木の札の御守り(スポーツ御守り下さいと、言えと言われた)をゲット、嬉しい。東京に帰り、妻に見せてみたが、ヤクザっぽいとの、感想。

地元のみなさん、諏訪大社の名に恥じぬよう、がんばってきます。応援宜しく御願い致します。(乳首ちっちゃくてごめんね)

石まみれ
2006年08月09日

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どんどんベルリンに行く日が近づいてきて、準備やら手続きに追われはじめた、少し焦る。写真は、パリにいた時に作った作品。来月から、また石に囲まれた文化に突入ですよ。

明日から故郷の長野へ、墓参りや挨拶の為に帰るんで、大自然や土着のパワーを持ち続けてる人々から、力をもらってこようかと思う。

貸しアトリエ情報
2006年08月06日

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場所   武蔵村山市中央(ムサビより自転車で20分、最寄り駅 多摩都市モノレール 上北台駅)

諸条件  建物2棟  本棟(70平米) 別棟ANNEX(30平米)  敷地面積100坪    
     鉄、木、FRP等加工の為の基本的な工具有り
       グラインダー、チェーンソー、丸のコ、ボール盤、高速カッター、溶接機、溶断機、
       ドリル、バンドソー、ハンマードリル、レシプロソー、石材用カッター、ルーター、                     
       かくはん機、三又、チェーンブロック、発電機、灯油窯機材、軽トラ等

     月一人2万   
     
     別棟ANNEX(30平米 写真下)一人貸しきりの場合  40000円
                     
     
     ホームセンター徒歩3分

     現在4名のアーティスト使用中
     
     平面の方も大歓迎(ANNEXは平面に向いていると思います)
どちらも、入り口はバカでかいので、搬入搬出が楽です。
    

   
興味の有る方久保田まで、メール又は電話で御連絡下さい。0049 175 71 98 701 (ドイツ)

     
     

壮行会
2006年08月05日

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昨晩、仕事で出入りさせてもらっている北新宿の額装屋さんが、オレの為に壮行会を開いてくれました。社長HZさんを始め、そこで働いてる方々と、久保田組と称し連れて来たアルバイト軍団(ムサビ後輩)、総勢15人程で、中野の店で一杯やらせてもらいました。その時、HZさんが沖縄特産のアップルマンゴーを持って来て暮れました(写真)。これは、マンゴーというものを食べた事がないオレに、わざわざ買って来てくれたもので、ななんと一個4000円もするらしい。奥さんが、いろいろ歩き回って、探してくださったようだ、感謝です。

いつも仕事の時には、旨いものを食わせてもらったり、温泉に連れて行ってもらったり、飲ませてもらったりと、オレのようなビンボー人にとっては、感動の連続でした。もう、コンビニの弁当とか食えません。食べ物の味には、本当に無頓着だったオレですが、おかげで、かなり「味」というものについて意識出来る様になった気がします。

飲み会の最中に、食べ物に飢えた亡者どもに、あやうくアップルマンゴーを食われそうになりましたが、なんとか家に持ち帰る事ができました。あぶねー、あぶねー。早速、家で食ってみる事にしました。

切った瞬間、肉汁(果汁とも言うらしい)が滴り落ち、思わずすすってしまいます。味は、濃厚で、上品な甘さが、口の中に広がりました(うまいねオレも)。あまりの旨さに、二個目に突入しそうになりましたが、妻に止められ、明日にする事にした。普通のマンゴーの味も知らんのに、始めから、特上アップルマンゴーから入っていいんでしょうか。さっき、八百屋でメキシコ産アップルマンゴーを見かけましたので、今度比べてみたいと思います。亡者どもには、さぞかし「久保田ケチ伝説」が広がっていることでしょう。言っとくけど、そうだよオレはケチだよ。

HZさん、昨日はどうもありがとうございました、御馳走になりました。これからも、ビンボー芸術家どもを温かく見守ってやって下さい。

シュバルの理想宮 6
2006年08月02日

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言葉はいらねー。

シュバルの理想宮 5
2006年08月01日

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理想宮自体、全体が、余すところ無く何かしらの造形物に覆われています。だから、この写真は、ただの一部分でしかない。始めに大きな全体像をイメージしていた様ですが、細部は見つけた奇岩からの発想を活かして作ったものや、異国への憧れを形にしたもの、オートリーブ周辺の風物からの造形が見受けられます。堅苦しいものは一切無くて、楽しいです、実に。観光のじいさんばあさんが、この後この理想宮にやってきて、たわむれていましたが、その様は、正に天国のようでした。