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シュバルの理想宮 4
2006年07月31日

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シュバル先生(下写真)の物真似をいたしておった頃のオレ。足元にもおよびません。こんなの、33年間も一人で続けられるか?普通。それも、郵便配達の仕事しながらだよ。石運びの仕事をかじってみて、つくづくその大変さがわかりました。彼は、運ぶだけでなく、奇岩どもを使って、独自のユーモアのある造形を作り出しました。明日載せる。

シュバルの理想宮 3
2006年07月30日

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このとおり、オートリーブの畑は石だらけだ。こんなに石が放置されてる畑は、日本で見た事が無かったので、驚いた。きっとブドウなんかを育てているんだろう。水はけが良い方が、ブドウには適しているとか言うし。シュバルは、この石達を何年もかけて拾い集めながら、宮殿を造ったわけだ。

何年か前、神奈川県の藤野で、石を車の中に詰める作品(ポートフォリオ見てね!)を制作したが、半端でない労力と、気力を使ったのを思い出す。どうしてこんなにツライ思いをしてまで、芸術とかいう、得体の知れん事を続けているのか、毎日河原で、一つ一つの石を拾い上げる度に思った。住民の、ただ石を集める作業をひたすら続けるオレに対する、冷めた眼差しは辛かったなあ。でも、それがオレを鍛えてくれたのかも知れんなと、最近は思える様にもなったけど。シュバルにはそんな迷いは無かったんだろうか。

シュバルの理想宮 2
2006年07月26日

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彼は、一介の郵便配達員でありながら、あんな芸術を作り出した事で有名だが、オレは実際にオートリーブを訪れ、少しその芸術誕生のヒントも垣間みる事が出来た様な気がする。当時は、自動車等無い時代(日本は、明治初期あたり)なので、シュバルは、郵便配達の為に毎日ひたすら歩き続けていた。そして、運命のその日がやってきた。「シュバル、石につまづく」。その、一つの奇岩発見をきっかけに、33年にわたる建設活動が始まるわけだ。

オートリーブとか、その周辺は元々海底だった場所が、隆起して陸になったらしく、奇岩が多く見つかる(バルビゾンの奇岩の森同様)。石ころも、道ばた、畑など至る所にたくさん転がっていた。驚いたのは、村の建物がほとんど全部、その石ころを使って建てられていた事(写真)。こんなに玉石を集めて作った家は、フランスに来て初めて見ました。この環境が、脅威の作品を生み出す一端をになっていたというわけだ。  つづく

エキセントリックアートの殿堂  シュバルの理想宮
2006年07月24日

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パリに遊びに来た、ヒガノ(日記内によく登場)に教わり、オレ達夫婦は、リヨンの郊外にある村、オートリーブを訪ねた。この村には、シュバルの理想宮 という伝説の建造物が有る。リヨンから、列車に乗り4、50分程行った、なんとか駅から、路線バスに乗って、どんどん行った所に、それは存在した。オートリーブは、バルビゾンと同じくらいの小さな村。バスは一日数本しか走っていない。

ここを訪れた事が、妙に観念的な現代美術や、政治的な力が物を言ってる美術界に嫌気が差し、作品を作る事への情熱が冷め始めてたオレの気持ちに、変化をもたらす事となる。

写真は、理想宮を墓にする事を、村人から拒否されたシュバルが、懲りずに作った自分達家族の墓。   
つづく

バルビゾン 2
2006年07月23日

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しばらくして、小さな村にたどりついた。どうやら、バルビゾンのようだ。バルビゾン派とか言うけど、こんな小さな田舎の村の事だったのか、と感動。この片田舎で描かれた絵が、今は山梨県にあることも不思議な気分だった。当時、芸術家達を支援した人の家が、今は美術館になっていた。

しばらく、村の中を自転車で走り回った。ミレーが「祈り」(だと思ったけど)を描いたとされる場所を見つけた(写真)。自分が、高校生の時に何気なく見てた絵が、こんな場所で繋がる事に感動した。古戦場巡りと同じ様に、当時の農民が働いてるのを想像していると、妻(油絵科出身)は、何を思ったのか知らないが、畑の中の道を激走しはじめたので、遠くから見ている事にした。大丈夫だろうか?

ミレーのアトリエを見てから、元来た道を戻る事にした。帰り道は登りが多いので、気が重い。奇岩の森を抜け、突っ走った。かなり疲れた。バスを待つ間に食った、バゲットがうまかった。

バルビゾン 奇岩の森
2006年07月22日

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ミレーの「種をまく人」という作品が、山梨県立美術館にある。オレんちの家族は、美術にはほとんど興味の無い人間ばかりだが、唯一、この美術館に家族で出かけた事があった。オレが、高校生の時、デザインの勉強を始めたのが、きっかけだったか、忘れたが。力強い絵だな(その頃あまり興味無かった)としか覚えていない。

パリにいる時、南の方に電車で一時間程行った、バルビゾンという村で、ミレー等が住んでた所があると知って、妻と行ってみることにした。なんとかという駅で降り、バスに乗り、なんとかというところで、自転車を借りた。本には、自転車ですぐ行けそうな事を書いてあったが、バルビゾンにはなかなかたどり着かない。それも、森の中の一本道を二人でひたすら走った。日帰りでパリに帰ろうと思ってたから、焦る。雨まで降って来た。一時間位、自転車で走ったが、森が続くのみだった。

開けた場所があったので、そこでひと休みすることにした。山の中なのに、バカデケー石の彫刻があるなーと思い、よく見ると、どうやら自然石っぽい。それも、大量にあって驚く。表面がゾウの皮膚みたいになった、巨岩だらけの森。ガイドブックには載ってなかったが、相当変な所だ、ここは。バルビゾン到着まで、あと二十分。   つづく

石垣フェチ
2006年07月19日

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実はオレ、何故か石垣見ると興奮しちゃうんだよね。おかしいかね? それも、きちっと積んであるのはダメで、その辺から拾って来た大石を積み上げた感じが、たまらない。浜松で先生してた時見たんだけど、浜松城の野面(のづら)積みは、最高でした。山城の土塁もかなり好きだよ。前世はやっぱり足軽、農民兵でしょうか。

これも、パリにいる時に作った作品。もれなくセーヌ川の石です。ボクお金無いんです、だれか買ってくれませんか?安くしときますよ。

雹(ひょう)
2006年07月18日

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二、三日前に、スタジオ住人山田から「武蔵村山が嵐です」とメールがきた。今では、ジャニーズくらいしか使わない 嵐 という言葉に違和感を覚えつつも、何かが起こっている事に、不安になった。山田の話では、亀頭大(原文まま)の雹が降って来て、屋根の明かり取りにしているプラスチックの浪板が、何か所も突き破られているらしい。今は、梅雨の季節なので、雨漏りが心配だ。

今朝、雨の中を恐る恐る、アトリエに行ってみた。まさに、嵐が過ぎ去った後のように、外に立てかけておいた脚立や、板等が吹き飛ばされていた。アトリエ内部に入ってみると、本当に何か所も雹による穴が空いているではないか!500円玉くらいの大きさの穴が何か所も。そこから雨水がポタポタと垂れている。幸い、大事な工具等は濡れていないようだ。

それにしても、ガラス繊維入りの樹脂板をぶち抜く雹とは、いったいどんなヤツだったのか。農家のビニールハウス等も相当の被害を受けた事だろう。頭に当たった人、痛かっただろうな〜。修理しようと思ったけど、雨が止まず、屋根に登れないので、延期する事にした。週末まで、雨は止まんらしい。

くっそ〜、タダでさえ忙しいのに、また修理かよ、ホントろくでもねぇ。昼間からどっかの飲み屋で一杯やりたい気分になった。またもや、オレの行く手を阻む抵抗勢力の蠢動が始まったぜ。

玄太郎
2006年07月17日

オレは、かつて埼玉にあるA工房という、造形屋(ディズニーとかの人形や博物館の作り物など作る職種)で働いていた。いろいろな変わった人間が出入りしていたが、ある日、バイトで、ある男が入って来た。名前は、横山玄太郎。アメリカから帰ってきたばかり。

トチ狂った元気さ(ハトヤのCMで、子供に抱きかかえられてる大魚の様にあばれる)で周囲を驚かせる。このケモノは、その日から、オレが担当している造形物制作の補助に回される。内心、なんでオレのところに?と困惑したのを覚えている。

今日、横浜の岩崎ミュージアムに足を運んだ。なんと、ヤツが個展を開いているからだ。玄太郎は立派な陶芸家で、何度も個展をしている。はじめて彼が陶芸をやってる事を知った時は、その行動の落ち着きの無さから、そんなモノが作れるのを、全く信じられませんでしたが、本当にちゃんとやっています。作品も、かなり面白い。以外にも、完成度高い。

展示は、今日で終わりですが、ヤツのサイトがあるんで、見てみて下さい。
http://www.gentceramics.com
実際に会ってみると、もっと楽しいよ。

倶利伽羅峠の合戦
2006年07月16日

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石川と富山の境に、砺波山というのがあって、そこに倶利伽羅(くりから)峠というのがある。ここは、我が信州の英雄、木曽義仲が平氏の大軍を打ち破った場所だぞ。平家軍十万 対 木曽軍四万の戦い。実際に行ってみると、木々が生い茂る場所で狭い。ここに十四万がぶつかりあったとは考えられない所。数は、誇張のようだ。

木曽義仲は、火牛の計(牛の角に松明をつけ突進させる)を用いたとされる。平家軍は士気が下がっていて、このような山の上で、決戦を避けてダラダラしていた。そこに牛が突っ込んで来たんで、夜中でもあったし、大軍が押し寄せて来たと思い、混乱に陥ったらしい。その後、谷底(地獄谷)に落ち、かなりの死者が出たようだ。そこを流れる川の名前が、蛆(ウジ)川という名前だったのがコワイ。死体に群がる蛆から来た名称と思う。とにかく、木曽義仲は大勝した。

その後の義仲の運命は、知ってのとうり、田舎モンが都で威張り過ぎて、蹴落とされるというストーリーが定番だが、実際はそうではなかったとも言われている。かなりの名将で、分別もある人間だったが、源氏のライバル争いによって、追い落とされた(義経といっしょ)ようだ。やっぱり、始めに華々しくやっちゃうと、ねたみとかでそんな運命が待っているものなんですね。松尾芭蕉も義仲のことはたたえていて、自身も滋賀県にある義仲寺に葬られてる。

信州人にとって、旭将軍義仲は永遠のヒーローだぜ!

写真は、倶利伽羅峠から砺波山麓を眺めた様子

金沢
2006年07月15日

昨日から、北陸金沢の方に遊びに来ている。昨晩は、普段は食えない旨い海の幸を堪能。地元の酒を飲みまくった。やめられません、人間っていいものですね。

今朝は、妻と朝から近江町市場(最高)で寿司を食いまくり、その後21世紀美術館に行った。白い建物がマブシ?、こんなとこで展示したいものです。

その後、足軽博物館(だれも行かない)に行ってみた。俺の田舎にある、町民住宅のような渋い建物だ。今度、写真をアップするよ。今夜は、E氏と夜の街にくりだす予定。

小品2
2006年07月13日

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これも、パリのアトリエでセコセコと作ったもの。ランマー(道路工事の機械)を走らせてる自刻像といったところ。紙粘土とか、いろんな余った部品なんかを組み合わせて作った。作るのは、小さいので結構面倒くさい。時間もかなりかかっている。  ルーブルとか行って勉強したんだぜ。

個展の時、適当に25万で値をつけたら、やっぱり売れなかった。そのぐらい手間はかけたけどね。大切にしてくれそうなので、パリに住んでいる、JC and AKI夫妻 に泊まらせてもらってるお礼にプレゼントした。運んでいる時に、飛行機の中で壊れてしまい(首と足が折れた)、夫妻の家で修理しました。

これからも、デカイ作品を作るつもりだけど、ジジイになって筋肉が無くなったら、またこういうの作ろうかとも思う。

小品
2006年07月12日

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オレは、基本的に小品を作らない主義だったが、いつも大きいものばかりを作り続けるのは、物理的に無理と悟り、あきらめた。これは、パリにいたとき、部屋でちまちま作っていた作品。将来、実物大の作品にする事を念頭に置き、制作した。セーヌ川のほとりから拾ってきた小石(ただの石じゃねえ)を、せっせとバスのおもちゃの中に詰めたもの。なかなか根気がいる。こういう細かい作業が、実は好きなのは分かっていたのだが、これまで我慢して来た。

先日、この作品を、友人の日向野君が買ってくれた。自分で持っているより、大切に保管してくれる人に譲ったほうがいい。そのお金で、二人でRoofで一杯やることにした。大声で騒いで、少しひんしゅくだった気がするが、スタッフの方やお客さん、すみませんでした。なんか、鹿之助に叱られたような、記憶が。

パリで作った小品は、ほかにもたくさんある。いずれ、実際の大きさで表現したいと思ってる、エスキース的なものばかり。欲しい方には御譲りいたしますよ。家の床の間や便所に飾ったりしたら、最高ですよ〜。いいですよ〜。こんど、日記で写真載せますよ。

去年の今頃
2006年07月11日

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金沢で、「C・A・R・K」というアーティストインレジデンスに出させてもらっていました。
撤去の様子。あまりの疲労に、帰り道、このトラックで普通乗用車に衝突してしまいました。
相手の人は、ちょっと車がへこんだだけだったけど、なんか泣いてた。  ぷぷぷ。

今週金曜から、金沢に遊びに行こうと思っています。

ベルギー ワーテルロー4
2006年07月10日

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ライオンの丘の横に、博物館などがあるんで覗いてみた。当時の大砲の玉とか、発掘された戦死者の骨など展示してある。頭がい骨に残っていた刀傷が、激しさを物語っていた。

それなりに面白かったが、事前にこの戦いについての調査とかしなかったせいもあり、いまいち盛り上がりに欠ける古戦場めぐりになってしまった。ライオンの丘を見せられて、白々しい気分になったのもあるだろう。入り込めてないなぁという感じです。

消化不良のまま、来る時バスで来た道を、2時間程かけて歩いてみた。

ベルギー ワーテルロー 3
2006年07月08日

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これが、各軍の配置図。中央の青いのが、ナポレオン率いるフランス軍。手前の赤いのが、ウェリントン率いるイギリス軍。その中にいる緑とか、オレンジはオランダとかベルギー。左はじの水色のが、プロイセン軍です。手前の連合軍の真ん中辺りの、黒丸が、ライオンの丘。

これは、戦いが始まる前の陣形。

ベルギー ワーテルロー 2

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バスを降り、10分ほど歩くと、小高い丘が見えてくる。畑の中に突然現れる、円錐状の丘は、違和感を感じさせる。後でわかったことだが、この丘は、一番の激戦区の真上に人工的に作られたものらしい。頂上には、バカでかいライオンの銅像が据えられていた。ライオンの丘と呼ぶらしい。

おれは、ガックリきた。せっかくの古戦場になんて事をするんだ。と、思いつつも登ってみる事にした。かなり高い。観光バスで、やってきた団体がいて、いっしょに登る。みんな、関ヶ原ウォーランド(関ヶ原にある、B級テーマパーク、モルタルを直付けでつくった武者の像に、ペンキで塗装は、見物)に来ている様な気分だろう。頂上からは、各軍の配置状況を説明する看板があり、楽しめた。高い所から見るのも悪くないなと、気を取り直す。

写真の中で、丘の斜面を登ってる人が見えるだろうか。かなりでかい。

ベルギー ワーテルロー
2006年07月07日

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オレは、時代に関係なく、古戦場と名の付く所には、どこでも行きたいと思っていて、たとえそれが、仕事の出張先であろうとも、情報があれば、時間を割いて見に行ってしまう程だ。本職のアートより夢中になってしまうこともある、マズイ。現地につくと、アドレナリンが噴出してしまうんで、やめられない。

ベルギーの首都、ブリュッセルから、南東に少し行った畑の中にその古戦場(ワーテルローの戦い)はある。ナポレオン軍125000が、イギリス、プロイセン(ドイツの辺)連合軍230000と戦った場所。関ヶ原が、84000対74000だから、規模は、その約2倍ということになる。

なんとかという駅を降りて、バスに乗る。もちろん、そんなところにバスと電車を乗り継いで、見に行こうとしてる物好きは、オレだけだった。麦畑が広がってる、広大な大地。野戦の名人家康もびっくりだ。

写真は、オレが間違えて、違う方面に行く電車に乗った事に気付いて、あわてて降りた無人駅で見た電車。すごい顔。    つづく

泥地獄
2006年07月05日

この時期になると、大量の雨水のせいで、アトリエまでの畑の中の道がかなりぬかるむ。どんなに、車で踏み固めても、所詮畑なので、ぐちゃぐちゃになることが多い。今は、四駆の車に乗っているので、少しの雨なら平気だが、今日は、油断していて、耕したばかりの土の方にハンドルを取られ、つっこんでしまった。車のタイヤが泥につっこんだ時の気分は、経験者ならわかると思うが、何とも言えない途方にくれた感じのものだ。あまり深みにはまると四駆でもキツイ。

オレは、既に2度、今回で3度目の車突っ込みになるので、さほど焦りは無かった。焦ったのは、久保田組スタジオのチラシを見て、今日オレに案内されていた学生2人だろう。彼等は、車を押してくれたが、動かなかった。車で、上北台の駅まで送ろうと思っていたが、彼等には歩いて駅まで行ってもらう事にした。こんな光景目の当たりにしてたら、オレのアトリエ借りてくれねーだろうな、とほほ。

前、突っ込んだ時は、はじめ2トンダンプがはまり、それを引っ張ろうとしたもう一台のワゴン車もハマるという、修羅場と化した。犬の散歩とかしてるジジイが、わんさか寄って来て、「先生、何やってんのよ〜、それでも先生かよ〜」(オレはそのころ高校の先生をしてた)と、苦しむオレに罵声を浴びせかけた。マジでその時は泣きそうになった。

その時、いつも一人で作業している孤独なオレに、なにかと声をかけてくれる農家のおじさんが、雨の中をオレンジ色のトラクターを走らせ、やってきた。オレには、おじさんがメシアに見えたよ。トラクターで車をぐんぐん引っぱり、救い出してくれた。いつもニコニコしているおじさん、あなたは、MY HEROです。

今日は、自分のトラクター(作品の動力のために買った)で引っぱり、誰の手も借りずに抜け出した。いつも、これがココのネックになる。                    彼等は、もう帰ってこないのか。

ルーマニア ブカレスト3
2006年07月04日

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国民の館を出て、ホテルの方に向かった。途中に、謎の巨大建造物がいくつかあって、国民の館同様、工事がストップしたままの状態になっていた。まわりが仮設の塀で囲まれて、中は見えないようになっていたが、すきまからのぞくと、兵士らしき人がいた。入ってみようとも考えたが、面倒な事になりそうで止めておいた。外から写真を撮っていると、ルーマニア人のオバさん(なぜかオバさんが寄って来る習性があるようだ)が近付いて来て、現地語でオレに抗議してきた。何か激しくしゃべり続け、まわりのおっさんも寄って来たので、写真は止めた。ここは、国の恥だから撮るなとでも言っているのか。

市のはずれの方に、凱旋門があるみたいなので、行ってみた。何キロも歩いて、やっとたどりつく。パリのやつに似てるけど、大きさは3分の1程度で、壁面には、旧共産圏らしく農民の横顔のレリーフ。期待しなくて良かったという印象。

農民博物館というのに入る。昔の農機具とか、作物、織物などが展示してあった。地下一階が、スターリン、レーニンコーナーみたいになっていて(写真)五百羅漢の様に銅像が置かれていた。写真撮影は例の如く、金を払うんだけど、めんどくせーので盗撮。

この建物の正面にルーマニアの鉱物博物館があり、ヒマなので入ってみた。3階建てくらいの、まあまあ大きい博物館だけど、客はオレ一人。おっさん達が3人も来て、オレ一人に説明をしてくれた。普段は電気もついていない特別な部屋にも入れてもらう。大陸がぶつかって、隆起したり、圧力がかかって、この国では、世界でも珍しい鉱物が取れると、寄ってたかって説明して来た。今日初めての客みたいだ、どうやら。こんな色の石、どうやってできるの?という鉱物を沢山見て感動。

途中の国立美術館で見つけた銅像(写真 下)、おもいっきり力入れながら、ち●ぽ を隠す技には恐れいります。

おわり

ルーマニア ブカレスト2
2006年07月03日

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国民の館までは、歩くとかなり遠い。貧しい国だし、人気の無い場所は少し恐かったが、急いで歩いた。なかなか発見できずにいたが、やがて国会議事堂よりもっとデカイ巨大な真っ白な建物が見えて来た。正門と見られるところから入ってみる。日本人観光客はオレしかいなくて、欧米人も少ししかいなかった。だが、入り口の所で、温泉にでも来たかの様なノリの、朝鮮系と見られる元気なおばさんが、なにやら写真を撮ってくれと頼んできた。な、なぜ、こんな所に、このようなオバさん達が?それも、相当なハシャギよう。多分、宮殿を見て舞い上がってるんだろう。一瞬、ここがルーマニアであることを忘れてしまった。もしや、北の人間では、と頭をよぎった。コワイ。

入り口では、まるで空港の搭乗手続きのような、物々しい機械があり、検査された。写真撮影代は、3600円分くらい取られた。一日の給料500円位の国なのに、取り過ぎじゃねーのと思った。中に入るが、自由行動は許されないので、一人のガイドと一緒に団体行動をする。ものすごいシャンデリアが沢山有り、石の産地で有名なだけあって、いろんな石材を超贅沢に使っている。パリのなんとか宮殿のまねをしてるのは、間違いないが、あまり人が使った形跡がないのと、まだ比較的新しいこともあって、田舎のチンケなラブホテルにでも来ている気分だった。でも、やっぱり、よく見ると半端でない物量を使用している。

でかすぎて、一人で来ていたら絶対迷うだろうが、地下シェルターや、ブカレスト中に自由に行ける秘密の地下道があるという噂(ほとんど事実)なので、便所に行くふりをして、散策してみた。地下に続く階段を見つけたが、恐くなって、写真だけ撮ってもどってきた。ブカレストの地下には、全長80キロにも及ぶ、秘密の地下道があり、ルーマニア革命の時には、チャウシェスクの親衛隊が、いきなり、どこからともなく現れて、新政府軍に最後の抵抗をしていたという。

英語のガイドは、半分くらいしかわからないので、オレだけ遅れて歩く。ガイドの目を盗んで、カーテンをめくったりしてみた。その瞬間びっくりする光景(でかい方の写真)を目の当たりにしてしまった。内部の金ピカな装飾に目を奪われ、誰も気付いてなかったけど、中庭は、革命時に工事がストップしたまんま、放置されていた。工事用足場とか、サビついてしまっている。隠れて、バシバシ写真を撮ってしまった。歴史が止まっている。すげー。   つづく

ルーマニア ブカレスト
2006年07月01日

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オレが、中学生の時(18年前位)、ルーマニアで革命がおきて、チャウシェスクっていう独裁者と、その奥さんが射殺された。当時ニュースでそれを見ていたんだけど、射殺体がそのまま映像で流されていたので、凄いショックを受けたのを覚えている。国民が貧困にあえいでいるのに、やつらの一族だけ、贅沢三昧していたらしい。二年前に実際に行ってみたんだけど、どうやらそれは本当の事だったみたいだ。

国民の館っていう名の、タダの自分の家を作らせ、住んでいたのだが、これがまた半端じゃねーデカさだった。世界で2番目にデカイ建物らしい。国民はその建設の為に、ボランティアとしてかり出されてたようで、450年も昔に、手弁当で川中島に行かされた農民兵(オレん家の祖先)もびっくりだ。国民の館の正面は、パリのシャンゼリゼ通りをちっちゃくして、真似したかんじにしてあった。イメージの貧困な奴にかぎって、パリに憧れる傾向は、ここにも健在。この建物については、ブカレスト2 でまたやるつもり。

軍事博物館があって、戦車とか、飛行機とかもの凄い数が展示されていた。写真のは、デカいミサイルを発射する装甲車だ。見えないけど、上の部分には、テポドンみたいのがついていて、真上におっ立っている。正面から見ると、なかなかいい面構えだ。他に、ミグとか、ソ連の開発した宇宙船に乗ったルーマニア人毛利さんのコーナーとかもあった。はずれの方にスターリンの銅像が、片付けられた感じで、ひっそりとたたずんでたので、写真を撮ろうとしたら、監視の兵士に怒られてしまった。しょうがないので、隠し撮りしておいた。ちなみに、この博物館は、外貨獲得野ためか知らんが、写真撮影代を払わされる。オレは、払ったのに、スターリンだけは特別みたいです。

首都ブカレストでさえ、ロバが馬車を曳いてたし、ビンボーな国だというのは確かだが、権力を維持する為の金は惜しみなく使ってたようだ。