
先日、先輩の吉岡さんから、戦場ばっかり行ってるフリーライターの本をもらった。その中に、ボスニアヘルツェゴビナのサラエボに行った時の事が書いてあった。おれは、彼みたいに戦争直後に行ったわけではないけど、2年前に行ってみて、エラく衝撃を受けたんで報告してみたい。
おれは、吉岡さんを真似て(リンクにある彼のサイト参照)ルーマニアに行った後、以前から気になってた旧ユーゴスラビアをどうしても見たくなり、少し勇気を出して向かってみる事にした。電車でスロウ゛ェニアからクロアチアに入り、そこからサラエボ方面行きバスに乗る。旅行者と見られる人間は、オレとアメリカ人の弁護士(少し話した)だけで、あとは、クロアチア人かムスリム人かセルビア人のおじさんとかおばさん。見た目ではその民族の区別はつかない。彼等は、この間まで殺し合いをしていたのだ。同じ一つのバス、多民族混在、コワイ。
あらかじめ聞いていないバスの乗り換えとかあって、片言英語のオレはかなり焦った。クロアチアとボスニアの国境では、日本人はあまり来ないのか、いろんな事を聞かれ、オレのせいでバスが遅れた。まわりにいた、おばさん達が現地語で、この人は悪い人じゃないって(勝手な解釈)言ってくれていた。
ぐにゃぐにゃの山道を通って行くが、かなり鋪装されてるんで問題なかった。モスタルっつう街(超激戦地)を通った時は、不謹慎ながら、ものすごい感動を覚えた。だけど、クロアチア人、ムスリム人、セルビア人に囲まれているんで、むやみに写真を撮るのは控えた。弾痕くっきりの廃墟だらけ。
やっと、サラエボにつく。バス停で待ち構えてる、部屋貸しオバサン群を振り切ろうとしたが、ピンクの帽子をかぶったドイツ人のオバサン につかまった。安いので泊まる事にした。街は至る所に、爆弾と弾痕の跡が見受けられる。コーランが大音量で流されたりして、おどろく。
宿(彼女の自宅アパート、狭い)につくと、オバさん は、オレに自分の若い頃の写真を見せ始め、何ページか見ていると、いきなり「オゥッ ノー」といって、ある写真を手でかくした。彼女のヌード写真。テメー何人の旅行者に同じ事してんだ?アホか、とおもった(今夜悪い予感、客はオレだけ)。
その後、彼女の案内で市内観光。地雷や、スナイパー通り、軍事博物館らしきものを見てまわる。とにかく凄い、戦場の匂いがプンプンしている。彼女との会話の中で、オレがチトー(ユーゴの英雄)の名を出したとたん、「チットー、チットー、チットー」と叫びはじめた。アホかと思いながら、やっぱりチトーは凄かったんだなと思った。 つづく
写真は、ボスニア軍のヘリ (放置なのか展示なのかわからない)
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